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飯田市立丸山小学校

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2010 年 2 月 のアーカイブ

6年生から5年生へバトンタッチ

 今日は第2回児童総会が行われました。今年度の児童会テーマ「人にたよらず自分から」と「あいさつへの取り組み」について各学級で話し合った結果を出し合いました。自分から進んであいさつする子が増えた、あいさつ週間をもっと増やしたい、まだまだ自分からあいさつできない子もいるので呼びかけをしていきたいなど、前向きな意見が多く出されました。また、各委員会の反省に対して会員から積極的な意見も出され、来年度への取り組みの参考になるものも多かったです。
 6年生のみなさん、お疲れ様でした。そして、5年生のみなさん、来年度の丸山小学校をよろしくお願いします。

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2月校長講話「友情のメダル」

 これ(スライド1)は、何だか分かりますか。メダルですね。今から12年前、ちょうど5年生や6年生の生まれた年に、長野に世界の国々からたくさんの人が集まって、冬のオリンピックが開かれました。その時の、金、銀、銅のメダルです。県庁の知事室にも置いてありますが、これは、東京の国立競技場(2)にあるスポーツ博物館の物です。

 スポーツ博物館には、(3)メダルやユニフォームなど、スポーツに関するいろいろな物が展示されています。ちなみに、これ(4)は、東京オリンピックのメダルです。

 ところで、たくさんのメダルの中に、不思議なメダルがあることに気がつきました。(5)このメダルの、どこが不思議か分かりますか。もう少し大きくしてみます。(6)真ん中に、縦に線が入っているのが見えるでしょうか。このメダルは、半分ずつ貼り合わせてあるのです。これから、このようなメダルが、なぜあるのかについてお話しします。

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 1936年、今から74年前、私が生まれるよりももっと前に、ドイツのベルリンでオリンピックが開かれました。これは、そこで行われた棒高跳びのお話です。棒高跳びというのは、この絵(7)のように、棒を使ってジャンプし、高いところに渡したバーという横の棒を飛び越える競技です。

 夕方4時から決勝戦が始まりました。あいにくの激しい雨と強い風の中を、決勝に残った16人が、メダルを争っていました。横に渡したバーの高さをだんだん上げていき、それを飛んだ人だけが、残れます。そして、一番高く飛んだ人が優勝というルールです。

 バーの高さは、4m25㎝です。この体育館でいうと、あのベランダのちょうど手すりの高さです。一人ずつ跳んで、3回までに、この高さを越えなければなりません。この時、この高さを越えたのは、4人だけでした。(8)日本の西田選手とセフトンというアメリカの選手は、1回で成功しました。(9)日本の大江選手とアメリカのメドウス選手が、2回目で成功しました。この4人の中から、金、銀、銅のメダルが決まるのです。

決勝が始まって4時間がたち、午後8時になっていました。まわりは暗くなり、ライトがつきました。気温が下がり、どんどん寒くなっていきます。おまけにお腹もすいています。それでも、気力で頑張るしかないのです。お客さんも、勝負がどうなるかをじっと見守っています。

バーの高さは、もう10㎝上げられました。そして、この高さを跳べたのは、アメリカのメドウス選手ただ1人でした。だから、ここで、メドウス選手の金メダルが決まったのです。

今度は、残りの3人で順番を決めることになりました。バーが下げられて、さっき3人とも跳んだ4m25㎝をもう一度やったのですが、もう疲れていて3人とも跳べませんでした。そこで、さらに10㎝下げて、もう一度やると、日本の西田選手と大江選手だけが成功し、セフトン選手は失敗しました。ここで、セフトン選手の4位が決定しました。

しかし、まだ、西田選手と大江選手の日本人同士の、2位と3位の決定戦が残っています。その時、時計はもう9時をまわっていました。もう5時間以上競技を続けてきており、2人とも、これ以上跳ぶ力が残っていませんでした。それほど、全力を出し切っていたのです。

そこで、話し合いが行われました。その結果、2人とも日本人同士だから、これで試合は終わりにして、2人の記録の4m25㎝を1回で跳んだ西田選手が2位で銀メダル、2回目で跳んだ大江選手が3位で銅メダルということに決まりました。(10)

でも、実は、2位になった西田選手は、この決定はおかしいとずっと考えていたのです。なぜかというと、2人とも同じ高さを跳んだのだから、2人とも2位でいいのではないかと思っていたからです。でも、一度決まった結果は変更されることはありませんでした。

そこで、西田選手は、大江選手に、ある提案をしました。

「2つのメダルを半分ずつに割って、銀メダルと銅メダルをくっつけて、それを2人で持とうよ。」と、言ったのです。(11)

 こうして、銀と銅、半分ずつをつなぎ合わせた2つのメダルが生まれました。それ後、このメダルは「友情のメダル」と言われるようになったのです。

 さて、いよいよ、カナダのバンクーバーで、冬のオリンピックが始まります。みんな日本の選手を応援すると思います。ただ、オリンピックには、勝ち負けのことだけでなく、こうした人と人との出会いや感動のドラマがあるのです。きっと、そういうことも放送されると思います。選手達の努力や友情、オリンピックを支えるたくさんの人の協力や思いやりなど、そこで繰り広げられるいろいろなことに目を向けて、みつめてみたいと思います。

 (7)  (8)  (9)  (10)  (11)
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1月校長講話「ウナギの稚魚とナマズのお話」

 今日は、本に載っていたお話を紹介します。

 ウナギの養殖と言って、海につくった大きな池の中で、ウナギにえさを与えて飼っている所のお話です。

そのウナギの養殖をしているところで、うなぎの赤ちゃん、それを稚魚と言いますが、ある時それを外国から送ってもらい、飼って育てようということになりました。そして、遠くカナダという国から、飛行機でウナギの稚魚を送ってもらいました。ところが、カナダは遠いですから、日本に着くまでには時間がかかります。だから、1万匹のウナギの稚魚のうち、元気でいるのはわずか千から2千匹で、あとはみんな死んでしまったのだそうです。

そこで、ふと思いついて、次に送ってもらう時には、ウナギの稚魚にとっては敵であるナマズを一緒に送ってもらうことにしました。ナマズはウナギの稚魚の敵ですから、ウナギの稚魚は食べられてしまうはずです。でも、それをあえて一緒に送ってもらったのです。

そうしたら、どうでしょう。1万匹のウナギの稚魚のうち、8千匹も生き残ったというのです。何もしないで送ってもらった時の千から2千匹と比べると、とても多くのウナギが生き残ったことになります。

これはどういうことかというと、ナマズと一緒だったから、ウナギの稚魚達は、食べられまいとして必死で逃げ回っていたのです。そのおかげで、たくさんのウナギの稚魚が、元気を失うことがなく生き残ったということです。

普通は、だれだって敵などいない方がいいと考えます。ところが、このウナギの稚魚とナマズのお話のように、敵がいるおかげで自分も頑張って生き残れるということがあったのです。

ところで、以前に、校長室のポストに、ある手紙が入っていました。それは、「どうしたら、嫌いな人とも仲良くなれますか。」という内容でした。

 たくさんの人と一緒に生活している学校ですから、いろいろな人がいます。自分と気の合う人もいれば、そうでない人もいる。だから、すべての人と同じように仲良くすることの方が、むしろむずかしいです。それは、だれもが感じていることだと思います。

 そこで、先ほどのお話を思い出してください。ウナギの稚魚にとって、ナマズは敵なのに、逆に敵がいることで元気を出して生き延びることができたのです。これと同じように、きっと私たちだって、自分にとってちょっと苦手な人や余り気の合わない人がいてくれることで、自分も何とかしようと思い、苦手をなくして得意なことを増やそうとしたり、人に好かれる人になろうと思ったりして、頑張っているということがあるのではないかと思うのです。

あの人のおかげで、自分も頑張れるのかもしれないと思うと、随分と気が楽になるし、その人に対する見方も変わってくるように思います。そうすれば、ちょっと苦手だなと感じている人とも、いつかは今よりもきっと仲良しになれると思うのです。

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